お知らせ
2019年11月1日
” 今月の言葉 ” ( Vol.4 (201911))
苦しみも不安もすべては自然の一部であり、
僕らはその自然の一部。
苦しみは自分が作ったものにすぎない。
それを喜びに変えられるかどうかは、すべて自分の心次第。
栗城史多(登山家)
生年月日:1982年6月9日 / 死没:2018年5月21日(35歳没)/ 出身地:北海道瀬棚郡
栗城 史多(くりき のぶかず、1982年6月9日 – 2018年5月21日)は、日本の登山家、起業家。北海道瀬棚郡出身。北海道檜山北高等学校、札幌国際大学人文社会学部社会学科卒業。
「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回ヒマラヤ地域で高所登山を行っていた。エベレストには単独無酸素登頂と頂上からのインターネット生中継を掲げ、2009年9月チベット側、2010年9月ネパール側から挑んだが、8,000mに達することが出来ず敗退。2011年8月 – 10月に前年と同じネパール側から3度目の挑戦をしたがサウスコル7900mに達せず敗退。2012年10月に西稜ルートから4度目の挑戦も強風により敗退。この時に受傷した凍傷により、のちに右手親指以外の指9本を第二関節まで切断。2015年の5度目、2016年6度目、2017年7度目のエベレスト登山も敗退した。2018年5月に8度目となるエベレスト登山を敢行したが、途中で体調を崩して登頂を断念し、8連敗を喫した矢先の下山中の同月21日にキャンプ3から下山中に滑落死した。享年35歳。